【鍼灸研究最前線:ハーバード大学テッド・カプチュク教授のえがく弁証論治の歴史と日本鍼灸の歴史的貢献】
【鍼灸研究最前線:ハーバード大学テッド・カプチュク教授のえがく弁証論治の歴史と日本鍼灸の歴史的貢献】
2024年10月10日 テッド・カプチュク
「東アジア医学:陰陽のマルティプルなヴォイス」
ハーバード大学の世界一のプラセボ研究者で鍼灸師のテッド・カプチュク(Ted Kaptchuk:1947ー)教授の御意見は、鍼灸師必読だと思います。 テッド・カプチュク先生は1968年に21歳で名門コロンビア大学を卒業して、中国に行き、1975年にマカオ中医学院を卒業します。
1976年にアメリカに帰って、ハーバード大学の近くで鍼灸院を開業して、鍼灸の臨床をしているうちに疑問をもってプラセボを研究しだして、1998年にはハーバード大学助教授となり、2013年にはハーバード大学の正教授となりました。ハーバード大学新聞に「医師(MD)の資格も、博士(Ph.D)も持っていないハーバード大学医学部教授」と書かれた唯一の人物です。ホンモノの超・実力派です。
以下、引用。
「研修を終えてアメリカに戻った後、マサチューセッツ州ケンブリッジの小さな中国語書店で始まったある出来事が、劇的な啓示をもたらしました。私が中国の医学書を立ち読みしていると、一人の日本人女性が鋭い視線でその本を見つめ始めました。」
「彼女の名前は松本岐子です。彼女は後に、日本の鍼灸の著名な先生になりました。 」
「中国伝統医学は、中華民国の1912年から1949年の時期に、上海中医学校が翻訳した日本の古方派の文献に多大な影響を受けました。」
「中華民国時代の鍼治療の復興は、日本の鍼に大きな影響を受けていました。」
「現代の中国の毫鍼は、日本由来である」
以上、引用終わり。
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2014年
ブライディー・アンドリューズ(Bridie Andrews)著
『現代中医学の形成:1850-1960』
コロンビア大学出版局Univ of British Columbia Pr (2014/4/9)
※「アンドリュースは、清朝後期に低下した地位から現代中国医学の主力医療へと変貌を遂げた鍼灸の軌跡を明らかにする。鍵となるのは、日本における鍼灸が西洋の解剖学的人体観に移植されたことである。近代の毫鍼は、それまではるかに大型だった鍼灸器具に取って代わった。その後、両医学を研究し、「すべての経穴は解剖学的に解明されなければならない」と主張した承淡安のような中国人学者によって、経穴は縮小・再配置された。そして、西洋医学と日本の影響を受け、解剖学的に改革された鍼灸を、現在では中医学TCMと呼ばれる、よりホリスティックで古代から伝わる健康法の象徴と見なすのは皮肉なことだと、アンドリュースは論じている」
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ブライディー・アンドリューズ教授は、ケンブリッジ大学で歴史学の博士を取得し、ベントレー大学の歴史学の教授です。
以下、引用。
「1930年代、中国の章太炎(しょうたいえん:章炳麟:しょうへいりん:1869-1936)は、日本の渡辺熙(わたなべ・ひろし)の1928年の『証(“syndrome”)』という漢方の記述に深く影響された。」
以上、引用終わり。
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1928年 渡辺熙(わたなべ・ひろし)著
『和漢醫學ノ本體主證治療學 : 治方原則』
大阪市 : 東洋和漢醫學研究会
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章炳麟(しょうへいりん)は、孫文と並ぶ中国の革命家で、明治の日本に亡命した中国学の大学者です。
実は、「弁証論治」の「証(證)」の概念も、近代の日本の漢方家が由来なのです・・・。
以下、引用。
「中医学における重要なイノベーションは、正式な弁証論治(病型識別と治療決定)モデルのクリエイション創造でした。」
「わたし(テッド・カプチュク)が1970年代初めの中国にいたとき、『弁証論治』は、まだ教科書に載っていなかった。むしろ、1950年代に造語された『八綱弁証』が用いられていた」
「Karchmer (2022) は、弁証という用語の起源を辿る際にも同様の挫折を経験したと述べています。1950年代には、多くの著名な中国医師が、中医学の新人医師を育成するための別の枠組みを提案しました
以上、引用終わり。
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2022年 フォーダム大学出版局
エリック・カーチマー博士(Eric I. Karchmer.Ph.D MD LAc)
「妙技の処方箋:中医学のポストコロニアルな格闘」
エリック・カーチマー博士は、プリンストン大学医学部を卒業し(MD)、1987年の武漢で1年間、中国語を学び、2年目から台湾で2年を過ごし、ノースカロライナ大学で人類学を学んで、北京中医薬大学を2005年に卒業し、以降はノースカロライナ州で鍼灸の臨床をしながら、国立台湾大学で人類学の教授をされています。 エリック・カーチマー博士の2022年の文献では、やはり北京中医薬大学の名医、秦伯未(しんはくみ1901ー1970)先生が「弁証論治」をクリエイトしたと記述されています。わたしも同意見であり、『秦伯未医学名著全書』(中医古籍出版社2003年1月)を購入して調べましたが、
1959年秦伯未著『中医入門』の弁証では、
一、表裏寒熱虚実
二、六経
三、三焦(包括衛気営血)
四、病機
の4つしか弁証が無いです!
1959年『中医入門』には臓腑弁証も気血津液弁証も存在しません・・・。
1960年に書かれた秦伯未著『气血湿痰治法述要』と、
1964年秦伯未著『谦斋医学讲稿(1964年)』の「气血湿痰治法述要」は、おそらく、後世の「気血津液弁証」のもとになったと思います。
既に、中国の研究者自身が、弁証論治の形成過程の論文を多数、発表しています。
さらに、アメリカの歴史学者ブライディー・アンドリューズ教授や、医療人類学者のエリック・カーチマー教授が、「弁証論治は、1950年代にクリエイトされた」という歴史的ファクトを文献として2014年と2022年に出版しました。
しかし、いっぽうで、中国政府と政府系の御用・中医学鍼灸の先生方は、「AI弁証論治」をプロパガンダする方向に猛スピードで進んでいます・・・。脈診で、弦脈は「肝鬱気滞」は中医学的には、その通りだと思いますが、それは1950年代から1960年代に秦伯未先生がクリエイトした新理論であり、一度も正しさが「証明」はされていないです。
中国でも「弁証論治の歴史」を研究してきたヴェテランの文献学者兼鍼灸臨床家の先生方は、歴史的ファクトを知っています。
北京中医薬大学を卒業し、2005年から鍼灸院を開業してきたアメリカのエリック・カーチマー博士(臨床経験20年)も、ハーバード大学のテッド・カプチュク教授も歴史的ファクトを知っています。
中医学鍼灸を学んで30年のわたしも日本の鍼灸プロフェッショナルとして歴史的ファクトを知っています。
中国もアメリカも日本も、鍼灸プロフェッショナルは全員、歴史的ファクトを知っているのです。
以下、テッド・カプチュク先生の記事から引用。
「念のため言っておきますが、私は弁証論治が間違っているとか、新しいモデルや国家基準を作ることが間違っていると言っているのではありません。むしろ弁証論治は非常に洞察に富んでおり、中医学が中国の国民保健サービスの中で生き残り、国際的な医療システムの主要な構成要素となる準備が整っている重要な理由の一つだと考えています(Scheid 2007)。」
以上、引用終わり。
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弁証論治は、日本の近代鍼灸の影響や西洋医学の影響を強く受けて、理論的に整理された結果として、西洋世界ウエスタンワールドで受け入れられました。


