【鍼灸研究最前線:日本鍼灸の特徴】
2023年9月6日『伝統中医学』
「日本における鍼灸の発展成果と特徴に関する研究」
日本针灸的发展成就与特色研究
于欣,陈露
以下、引用。
「2.2 繁栄創新期」
「安土桃山時代から江戸時代は日本鍼灸の繁栄創新期であり、日本鍼灸の黄金時代である」
「菅沼周圭は鍼灸に対する独自の理解を持ち、経絡と経穴の働きについてのみ論じ、陰陽五行、臓腑経絡といった論理的・推測的な内容は排除し、効果を最大限に引き出すために少数ながらも的確な経穴を選定している。彼の代表作は『鍼灸則』である。」
「2.3 西洋医学による改革期」
「明治時代から現代(1868年~)にかけては、日本における鍼灸の改革と西洋化の時代であった。明治政府は「文明開化」「富国強兵」の政策を掲げ、西洋文化の受容の波を巻き起こした」
「明治27年、大久保適斎は鍼治療の本質は神経刺激であり、金針や銀針を用いて交感神経節を刺激することにあるとする著書を著しました。彼の代表作は『鍼治新書』です」
以上、引用終わり。
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1892年(明治25年)に、群馬県の大久保適斎(おおくぼ・てきさい)という外科医が『鍼治新書』治療篇・手術篇という文献を出版しました。この中には、2寸や3寸の5番鍼で、神経を標的に刺鍼する方法が書かれていました。「側頚部において頚動脈部に刺入して迷走神経を刺激して気管支疾患の治療をする等の治法」や「胃痙攣や消化器系の病気に対しては、胃兪や三焦兪、気海兪などから3寸鍼を深刺する」方法、肋間神経や坐骨神経の近傍を刺激する方法などです。
この大久保流は、関西で大阪盲学校をつくった吉田多市(よしだ・たいち1871-1937)先生や志岐与市先生・堀内三郎先生などによって広められます。さらに鹿児島出身で、大阪・高石市で活躍された郡山七二(こりやま・しちじ)先生が多くの工夫を重ねます。
郡山七二(こりやま・しちじ)先生は、(1)喘息への頸動脈洞刺鍼などの動脈刺、(2)便秘への府舎(SP13)穴付近のS状結腸刺鍼、(3)会陽(BL35)穴からの肛門刺鍼などの内臓刺、さらに1960年代に「眼窩内刺鍼」を開発し、多くの特殊刺法を開発しました。大阪の森秀太郎先生の『はり入門』(医道の日本社、1971年)には、このような「肛門刺針」「S状結腸刺鍼」「眼窩内刺鍼」「鼻腔内刺鍼」「歯齦刺鍼」「星状神経節刺鍼」「上腕神経叢刺鍼」「腋窩神経刺鍼」「乳腺刺針」などの特殊鍼法が多数、掲載されています。
大久保適斎『鍼治新書』
以下、引用。
「特筆すべきは、現代鍼治療研究が日本で本格的に展開されていた当時も、伝統的な鍼灸経絡理論が忘れ去られたり、放棄されたりすることはなかったということである。柳谷素霊らは「経絡治療学派」を結成し、伝統的な簡素な病態鑑別と治療、そして経絡理論に立ち返り、経絡の「虚実・補瀉」の調節に重点を置いた。」
《3.日本鍼灸の特色》
3.1 流派が林立し、鍼法はそれぞれ異なる
3.2 疾病予防と健康管理 灸の推奨
以上、引用終わり。
入江頼明の「入江流」、
吉田意休の「吉田流」、
御園意斎の「御園流」、
杉山和一の「杉山流」、
饗庭東庵(あえば・とうあん:1615-1673)の饗場流、
後藤艮山(ごとうごんざん:1659-1733)の後藤流、
香川修庵(かがわ・しゅうあん:1683-1755)の香川流、
石坂宗哲(いしざか・そうてつ:1770-1841)の石坂流、
などが紹介されています。
灸は、 堀元厚(ほり・げんこう:1686-1754)の『灸焫要覧(きゅうぜつようらん)』や、
後藤椿庵(ごとう・ちんあん:1696-1738)の『艾灸通説』が紹介されています。
鍼灸発祥と言われている中国の研究者の評価として、日本の鍼灸の歴史は興味深く、そして見習う理論や技術が存在しています。
これらの評価や研究が進み鍼灸の発展に寄与することができることを期待しています。


