咀嚼:脳にもいい「よくかむ」
刺激伝わり覚醒/認知機能に影響も/食事は繊維を多く 毎日新聞 2011年2月18日 東京朝刊
食べ物をよくかむことは、消化促進や肥満予防につながることが知られている。最近は脳の働きとの関係の研究も進み、心身の健康へのプラスの効果など、咀嚼(そしゃく)の重要性がさらに注目されている。【大場あい】
「よくかんで食べるということは、人間の健康にとっては、いいことずくめの行為だ」。脳と咀嚼との関係について詳しい小野塚實・神奈川歯科大教授は強調する。料理や器の見た目(視覚)、味、香りなどの五感への刺激に加え、かむという行為で脳に刺激を与えられるからだという 小野塚さんらはこれまで、65歳以上の高齢者1000人以上を対象に、かむことと記憶の関係について調べてきた。64枚一組の写真を覚えてもらい、一部を差し替えたもう一組の写真を見て「同じものを見たかどうか」を答えてもらうテストで、約2割の人はガムを2分間かんだ後に記憶してもらったときのほうが、かまずに記憶したときより正答率が15%以上アップした。
東北大などが仙台市内の70歳以上の高齢者約1200人を対象に実施した調査では、健康な人は平均14.9本の歯が残っていたのに対し、認知症の疑いのある人は9.4本だった。脳をMRI(磁気共鳴画像化装置)で調べると、歯が少ない人ほど、記憶に関係する海馬付近の容積が減少していた。小野塚さんは「歯を使ってかむという行為自体に、認知機能にプラスの効果があるのではないか」と見る。
泰羅雅登・東京医科歯科大教授(神経生理学)によると、よくかむからといって、アルツハイマー病や脳血管疾患など認知症の原因を予防できるという根拠はないものの、脳に刺激を与え続ける一つの方法にはなりうるという。
脳からあごを動かす筋肉に信号を伝える「三叉(さんさ)神経」は、歯ごたえなど歯や口の粘膜の感覚を脳に伝えるルートでもある。三叉神経は、覚醒(頭がさえた状態)をコントロールする「脳幹」と呼ばれる部分につながっているため、何かをかんで脳幹に刺激が伝わると脳の覚醒につながるという。泰羅さんは「ガムをかむと頭がすっきりするといわれるのは、三叉神経を介したこうした働きも関係している」という。
だが、かんで食べるという行為は非常に複雑で、脳との関係についてはまだ分からないことも多い。例えば、あごと舌では、それぞれ動かしたときに働いている脳の領域が少し異なるという。泰羅さんは「咀嚼は、大脳の内側の大脳辺縁系がつかさどる本能的なシステム(生きるために食べること)と、大脳新皮質がコントロールする人間の意思や理性に関係するシステム(楽しんで食べること)の両方が、うまくバランスをとっていると考えられ、非常に興味深いメカニズムだ」と話す。
「よくかむこと」の目安として、厚生労働省などは「一口30回」を例に挙げている。だが、「数えるのが面倒くさい」という人も少なくない。猪子(いのこ)芳美・日本歯科大新潟生命歯学部講師は「食物繊維を多く含む食品をメニューに加えると、意識しなくても30回の咀嚼と同程度、食べ物をかむことができる」と提案する。
猪子さんらは、健康な成人男女12人にピーナツ(2粒)と生のニンジンの角切り、それぞれ約2グラムずつを食べてもらい、咀嚼回数や咀嚼に関係する筋肉の動きなどを調べた。咀嚼回数を指定しなかったとき、のみ込むまでの咀嚼回数は、ピーナツが平均24.5回、ニンジンは27.1回だった。ちょうど30回咀嚼した場合と比べると、ピーナツの場合だけ咀嚼時間が短く、筋肉の活動量も少なかった。
猪子さんは「どちらも歯ごたえのある食品だが、ピーナツはすぐに砕けて、のみ込めてしまう。一方、食物繊維の多いものは、かんでもなかなか小さくならないので、時間をかけてかむことになる。咀嚼回数を増やすことに一生懸命になるのではなく、繊維を多く含むものをメニューに取り入れて、食事を楽しむ中でしっかり食べ物をかんでほしい」と話す。